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東京地方裁判所 平成5年(ワ)12115号 判決

主文

一  被告中沢一は、原告我妻田鶴子に対し金八八六万九八三五円、同我妻真弓及び同我妻仁志に対しそれぞれ金四四三万四九一七円並びにこれらに対する平成二年四月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告東京海上火災保険株式会社は、原告らの被告中沢一に対する判決が確定したときは、原告我妻田鶴子に対して金八八六万九八三五円、同我妻真弓及び同我妻仁志に対してそれぞれ金四四三万四九一七円並びにこれらに対する平成二年四月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

五  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  原告らの請求

一  被告中沢一(以下「被告中沢」という。)は、原告我妻田鶴子(以下「原告田鶴子」という。)に対して金四五四七万円、同我妻真弓(以下「原告真弓」という。)及び同我妻仁志(以下「原告仁志」という。)に対しそれぞれ金二二七三万五〇〇〇円並びにこれらに対する平成二年四月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告東京海上火災保険株式会社(以下「被告会社」という。)は、原告らの被告中沢に対する判決が確定したときは、原告田鶴子に対して金四五四七万円、同真弓及び同仁志に対してそれぞれ金二二七三万五〇〇〇円並びにこれらに対する平成二年四月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、センターラインを越えて対向車線に進入した普通貨物自動車が、折から対向車線を走行中の大型貨物自動車に正面衝突し、大型貨物自動車の運転手が傷害を負い、事故の一年五か月後に自殺したことから、右運転手の妻及び子が、普通貨物自動車の保有者に対しては、自動車損害賠償法三条、民法七一五条に基づき、その任意保険会社に対しては、任意保険約款に基づき、主位的には死亡による人的損害の賠償を、予備的には傷害による人的損害の賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実等

1  本件交通事故の発生(甲一、二、弁論の全趣旨)

事故の日時 昭和六三年一一月一四日午前四時三〇分ころ

事故の場所 埼玉県幸手市大字中野三七番地二先の路上

被害者 亡我妻道仁(以下「道仁」という。)

関係車両 (一) 道仁が運転する大型貨物自動車(千葉一一き八〇、千葉一一こ一七三〇、以下「道仁車」という。)

(二) 被告中沢が所有し、訴外豊田佳久(以下「訴外豊田」という。)が運転する普通貨物自動車(熊谷八八さ三〇五三、以下「被告車」という。)

事故の態様 被告車がセンターラインを越えて対向車線に進入し、折から対向車線を走行してきた道仁車に正面衝突した。

受傷の内容 道仁は、本件事故により、前頭部、前額部、右手背部、左前腕部及び右膝部に多発性挫創、低蛋白血症、外傷性頚部症候群、腹部打撲傷、内臓損傷の傷害を負つた。

2  治療の経過

道仁は、右同日、救急車で堀中病院に運ばれて入院し、直ちに開腹手術等の治療を受け、同年一二月二八日、同病院を退院して医療法人三矢会八街総合病院(以下「八街総合病院」という。)に転院し、同病院において胸部打撲、外傷性頚椎症、右膝半月板損傷、右膝前十字靭帯損傷、右膝外側側副靭帯損傷との診断を受け、以降平成二年四月一二日まで同病院への入通院を繰り返し、その間、頚椎、右膝半月板及び靭帯等の手術を受けた。道仁は、平成元年八月三一日の右膝靭帯手術を最後に、以後リハビリ治療に専念してきたが、頭部及び頚部の痛み、耳鳴り並びに右膝の拘縮が治癒せず、特に右膝は正常に動かず、日常の起臥及び歩行に不自由する状態であつた。平成二年四月ころ、道仁の治療を担当していた医師は、道仁に対し、症状は固定しており、右膝の治療は限界である、道仁の申し出があれば、いつでも後遺症認定を出すが、自動車の運転はできない旨告げた。

3  道仁の自殺

道仁は、平成二年四月一三日、被告らとの話し合いの後、自宅に帰ると言つて立ち去つたが、そのまま帰宅せずに行方不明となり、その翌日である同月一四日午後八時ころ、千葉県佐倉市の山林内において自家用車に排気ガスを引き込み、一酸化炭素中毒により自殺した。

4  責任原因

(一) 被告中沢の責任

本件事故は、訴外豊田の過失により生じたものであるところ、被告中沢は被告車を保有しこれを自己のために運行の用に供していた者であることから、また被告中沢は訴外豊田の使用者であり、本件事故は同人が被告中沢の業務執行中に発生したものであることから、自賠法三条、民法七一五条に基づき、原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

(二) 被告会社の責任

被告会社は、被告中沢との間で、被告車を被保険自動車とし、被保険自動車の対人事故によつて被告中沢が法律上の損害賠償責任を負う旨の損害賠償請求権者の被告中沢に対する判決が確定したときは、損害賠償請求権者に対して損害賠償額を支払う旨の任意自動車保険契約を締結していた。

5  相続

原告らは道仁の妻子であり、道仁の死亡により、同人が本件事故による死亡又は傷害により取得した損害賠償請求権につき、法定相続分に従い、原告田鶴子はその二分の一を、同真弓及び同仁志はいずれもその四分の一を、それぞれ相続により取得した。

二  争点

本件の争点は、〈1〉本件事故と道仁の自殺との間の相当因果関係の有無、及び〈2〉損害、特に、本件事故と道仁の自殺との相当因果関係が認められないとした場合の後遺症逸失利益の存続期間であり、当事者双方の主張は以下のとおりである。

1  本件事故と自殺との間の相当因果関係の有無

(一) 原告らの主張

本件事故は、道仁が直線道路を走行中に、対向車が突然センターラインをオーバーして道仁車に正面衝突したという道仁には全く無責のものであつたが、このため、道仁は、右膝が屈曲したまま硬直した状態となり、また、むち打ち症による頚部の痛み、顔面痙攣、耳鳴りという後遺症を残すこととなつた。本件事故当時、道仁は四七歳であつたところ、それまで運転業務一筋で生活しており、読み書きも不得手であつたため、右足の機能の喪失は、自動車の運転の不能、ひいては一生の失業状態を意味し、このため、道仁は、改造車で貨物運搬業務を行うことを勤務先の上司に強く懇願するなど、被害回復に対する執拗なまでの強い欲求を抱き、右欲求の前に災害神経症的状態に陥り、正常な判断能力を失つていた。

ところが、症状は回復しないまま固定状態となり、治療を担当していた医師から車の運転はできないと言い渡されたことから、道仁は深い絶望と強い不安を抱くに至り、口数も減り、冗談も言わず、感情の抑えがきかなくなつてときどき突発的に怒るようになり、また、食欲もなくなり、晩酌程度であつた飲酒量も増大し、酔つてテーブルをひつくり返すこともあつた。道仁は、職場復帰を強く欲求していたにもかかわらず、手術や長期間の入通院治療によつても頚椎及び右膝等の症状が回復しないままに固定したため、その絶望感と不安は日増しに増大し、自殺する前は、「寝てもすぐに目が覚める、眠れない」という状態まで、抑鬱状態に陥つていた。

平成二年四月一三日、道仁は、被告らとの示談交渉の席上、被告会社の社員から、後遺症の認定を受けなければ金の話は出せませんと言われたため、極度の興奮状態となり、顔面は引きつり蒼白となり、テーブルを叩いて誠意がない等とどなりつけるありさまであつた。右示談交渉が終わるや、道仁は完全に落ち込んで食事もしないという態度で、勤務先の上司が相談に乗るので心配するなと言つたが、返事もせず、ひどくふさぎ込んだ状態であつた。道仁はそのまま誰にも会おうとせず、翌日自殺した。

したがつて、道仁が自殺に至つた右経過とこれらの事実を考え合わせれば、同人は、本件事故による後遺症に悩み、災害神経症的状態を経て鬱病状態に陥つていたところ、平成二年四月一二日の治療の中止や翌一三日の示談交渉で具体的な回答が得られなかつたことが重なり、抑うつ状態が一気に高じて自殺に至つたものである。このような道仁の自殺は、被告らのみならず、通常人においても予見することが可能な事態であるから、道仁の災害神経症的状態ないし鬱病状態と本件事故との間、さらには道仁の自殺による死亡と本件事故との間にはいずれも相当因果関係が存在する。

(二) 被告らの主張

道仁の自殺と本件事故との間には、相当因果関係がない。道仁が自殺に及んだ動機は不明である。右自殺は、その前日まで仕事復帰後のことを慮り、道仁の勤務先の会社も復帰後の援助を約し、被告らとの間で今後の補償問題を同一のテーブルで協議した矢先のできごとである。すなわち、道仁の自殺は、純粋に自己の意思によつて死を選んだと理解されるものであつて、本件事故とは相当因果関係を有しない。また、道仁が、事故後平成二年四月一三日の示談交渉までの間に、災害神経症状態に陥り、その後鬱病に罹患したとの事実は認められない。

2  損害

(一) 死亡による損害

(1) 原告らの主張

右1(一)記載のとおり、本件事故と道仁の自殺との間には相当因果関係があるから、被告らは、道仁の死亡による損害につき、責任を負う。

〈1〉 死亡による逸失利益 五五七〇万円

死亡当時の道仁の年収六八〇万六八八五円、一八年分。中間利息の控除につき、一八年のライプニッツ係数を用いる。

〈2〉 死亡慰謝料 二四〇〇万円

〈3〉 傷害慰謝料 二九八万円

〈4〉 弁護士費用 八二六万円

右〈1〉から〈3〉までの合計額の一〇パーセント。

合計 九〇九四万円

(2) 被告らの主張

本件事故と道仁の自殺との間には相当因果関係がないから、死亡による損害については被告らには責任がない。

(二) 傷害による損害

(1) 原告らの主張

仮に本件事故と道仁の自殺との間に相当因果関係が認められなかつたとしても、道仁は本件事故により後遺障害を負い、労働能力を著しく喪失したのであるから、道仁は、被告らに対し、右後遺症に基づく逸失利益及び慰謝料につき、損害賠償請求権を有していた。右損害賠償請求権は、傷害の発生した時点で既に発生しているのであり、その後の被害者の自殺による死亡という後発的事情は、逸失利益を算定する上で考慮されない。

〈1〉 後遺症逸失利益 二七八五万円

死亡当時の道仁の年収六八〇万六八八五円、一八年分、労働能力喪失率五〇パーセント。中間利息の控除につき、一八年のライプニッツ係数を用いる。

〈2〉 後遺症慰謝料 一二〇〇万円

〈3〉 弁護士費用 三九八万円

右〈1〉〈2〉の合計額の一〇パーセント。

合計 四三八三万円

(2) 被告らの主張

〈1〉 道仁は、その後遺症の相当等級が確定される前に自殺したから、同人の後遺症等級は不分明であり、その不分明な後遺症等級を前提とする原告らの後遺症逸失利益の請求は根拠が乏しい。

〈2〉 仮に、道仁の後遺症の程度を事後客観的に判断することが不可能ではないとしても、同人はすでに自殺により死亡したから、それ以降は賠償上考慮されるべき逸失利益は観念されえない(最高裁昭和五〇年一〇月三日判決及びその原審である札幌高裁昭和五〇年二月一三日判決交民第八巻五号一二三六頁参照)。

第三  争点に対する判断

一  本件事故と道仁の自殺との間の相当因果関係の有無

1  前記争いのない事実及び証拠(甲三の1ないし14、六、七の1ないし4、九、一〇の1ないし15、一一の1ないし9、一二ないし一五、一七、一八、証人森川義一、原告田鶴子本人)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 道仁の経歴、本件事故以前の状況等

道仁は、昭和一六年四月一二日生まれの中卒の男子であり、昭和四七年一〇月に原告田鶴子と結婚し、同仁志、同真弓の二児を儲けた。結婚当時、道仁は、川葉運送株式会社(本件事故後、株式会社センヨーと社名変更。)に勤務し、大型トラックの運転手をしていた。結婚一年後、道仁はトレーラーの運転手となり、その後本件事故に至るまで、十数年にわたり、同会社でトレーラーの運転手として働いていた。本件事故当時、道仁は四七歳であり、同会社の労働組合の組合長をしていた。道仁は読み書きが苦手であり、組合の文書も部下に代書させていた。道仁は、本件事故前は、よく冗談も言う明るい性格で、部下の面倒見が良く、うじうじ考えたりすることがなく、即断即決により行動するタイプだつた。家族皆でよく買い物に行くことがあつた。

(二) 道仁の治療の経過等

道仁は、昭和六三年一一月一四日、本件事故により受傷し、救急車で堀中病院に運ばれて入院し、頭部外傷、顔面、右手背多発性挫創、低蛋白血症、外傷性頚部症候群、右膝部、左前腕挫創、腹部打撲傷、内臓損傷の疑いの診断を受け、直ちに開腹手術等の治療を受けた。道仁の術後経過は比較的順調であり、同人は、同年一二月二七日、自宅に近く通院可能な八街総合病院に、精査及びリハビリ目的で入院するため、堀中病院を退院した。同病院退院当時、道仁は、項部、腰部、右膝部等の運動痛を訴えていた。

道仁は、翌二八日、八街総合病院において、胸部打撲、外傷性頚椎症、右膝打撲、右膝半月板損傷と診断され、昭和六四年一月七日から平成元年七月三〇日まで同病院に入院し、その間、昭和六四年一月七日に外傷性頚椎症に対し手術、右膝内障に対し、ガラス片摘出、平成元年三月一六日に頚椎前方固定手術の各手術を受けた。また、同年八月一日から同月一五日までは同病院に通院し、その間、同月七日に、左手関節部異物の傷病に対し、ガラス片摘出の治療を受けた。道仁は、同月一六日に再度同病院に入院し、同月一七日に半月板手術、同月三一日に前十字靭帯手術の各手術を受け、その後リハビリを継続し、平成元年一〇月二二日に同病院を退院した。

道仁は、翌二三日から同病院へ通院した。同日から平成二年四月一〇日までの、道仁の理学外来診療録には、平成元年一〇月二三日には、左肩と右膝に痛みがあり、右膝の屈曲は九〇度で、筋力低下、頚髄症による眩暈、頭痛、頭重感がある旨の記載があり、翌日からは片松葉杖にてリハビリをしている旨の記載があるが、平成二年一月一五日には、昨日より松葉杖を使わないで歩くようにしている旨の記載がある。道仁は、平成元年一〇月二三日以降、主に左肩、両下肢と右膝のリハビリを続け、平成二年四月一二日、治療中止となつた。

(三) 道仁の後遺症及びその程度等

平成二年四月一二日の時点において、道仁の右膝と首は完治しておらず、右膝は、外に向かつて湾曲したままの状態で、直立しても両膝がそろわず、右膝が短くなり、歩くときは跛行状態となり、日常の起臥に不自由する状態であつた。また、道仁は、原告田鶴子や勤務先の上司であつた森川義一(以下「森川」という。)に対し、頭痛や耳鳴りがする、顔や腕の動かし方によつて激痛が走る、首筋から痺れが来ていて、頭が重い等と言つており、座つていることが辛いと言つて、家の中ではほとんど横になつていた。道仁は、平成二年四月ころ、医師から、症状は固定していること、運転手の仕事は無理であることを告げられていた。

(四) 道仁の車の運転業務に対する意欲等

右のような状態であつたにもかかわらず、道仁は運転手としての仕事に復帰することを強く希望していた。八街総合病院を退院する前から、森川に対し、退院後の仕事について相談するため、頻繁に電話を架けていた。同病院を退院後リハビリに入る前に、道仁が勤務先に来た際、大型トレーラーに乗車できるかどうか試したことがあつた。大型トレーラーに乗るためには手すりを手で掴み、その手と踏み台に掛けた足で体を持ち上げなければならないが、道仁は全然乗車することができなかつた。森川は、道仁に対し、地上勤務もあるので心配しないようにと言つていたが、道仁は、読み書きが苦手であつたため、あくまで運転手としての仕事を希望し、四トンの小型トラックの運転装置を改造してもらえれば、大型車並に稼ぐと言つて、運転をさせてほしいと言つていた。森川は、道仁の後遺症の程度に応じた改造車では営業免許が下りないと考えていたが、道仁の気持ちを思いやつて、同人に対し、同人が改造した四トン車にも乗れないとは言えなかつた。

(五) 道仁の精神状態等

道仁は、本件事故後は口数が減り、冗談も言わず、家庭は暗い雰囲気になつた。事故前は子供に手を上げたことはなかつたが、事故後は口答えをしたというだけで殴るようになつた。飲酒については、事故前は晩酌程度であつたが、事故後は飲酒量が増え、酔つてテーブルを引つ繰り返すこともあつた。道仁は、本件事故後は、月に一度位、感情を爆発させた。

道仁は、収入のことを心配することはなく、原告田鶴子が入院してパートの収入がなくなつたときも、どうにかなるという様子だつた。自殺するしばらく前は、寝てもすぐに目が覚める、眠れない等と言つていた。本件事故後は、食欲がなくなり、以前と比べて食事の量も減つていたが、食事をとらないということはなかつた。

(六) 自殺前日の行動

道仁の治療が中止された翌日である平成二年四月一三日午前一〇時から一一時四〇分までの間、道仁及び上司である森川らと、被告中沢及び被告会社の社員との間で、示談交渉を行つた。それに先立つ一週間前に、道仁は森川から、右席上で言いたいことを書いてくるようにと言われた。そこで、道仁は、何日もかけて、加害者に誠意が見られなかつたこと、医者から運転の仕事は無理だと言われているが、転職した場合の収入減をどう補償してくれるか、勤務先の会社が今後どのように対応してくれるか、後遺症や労働組合長としての責任を果たせなかつたことに基づく精神的苦痛等、一〇項目にわたるメモを作り、それを原告田鶴子に清書させた紙を右示談交渉の場に持参した。その一週間は、道仁はいらいらしたところがあり、落ちつきがなかつた。道仁は、示談交渉の当日、右の紙を持つて、原告田鶴子に対し、「ちやんと言つてくるからね。」と言つて、出掛けた。原告田鶴子は、同日の道仁の出掛け時の態度について、特別に気づいたことはなかつた。

右示談の席上において、道仁は、まず、加害者が八街総合病院に転院後は全く見舞いに来なかつた等、その誠意の有無を正し、さらに運転手以外の仕事はできないにもかかわらず、医者は運転手の仕事を続けることは無理だと言つており、転職すれば収入が減るがその補償をしてくれるのかどうかを問いただした。これに対し、被告会社の社員は、そろそろ後遺障害の認定を受ける時期であり、後遺障害の認定がなされれば、すぐにそれに応じた保険金を支払う旨答えたところ、道仁はとても興奮し、障害認定には応じない旨の発言をした。また、道仁は、再検査を受けて、来週もう一度手術をすることになつているが、手術をしても俺の足は元には戻らない、補償をどうしてくれるのか、被告らに誠意がない等発言した。道仁は冒頭から興奮してしまい、普段は穏やかな赤ら顔であつたが、顔面は引きつり、蒼白で、テーブルを叩くなど普段では考えられない状態になつた。森川は、最後に、道仁に対しては手術に全力で取り組んでほしいこと、今後話し合いを続けること、及び会社での処遇にそんなに心配は必要ないことを、被告会社の社員に対しては結論を急ぐことのないようにと発言し、示談交渉は、結論が出ないまま次回に続行された。

示談交渉後、森川は、会社が用意した弁当を食べるように勧めたところ、道仁は食事をとつた。森川は、道仁に対し、励ますつもりで、「相談があるならいつでも連絡してこい」と言つたが、道仁はまだ興奮しているようで返事をせず、いつもであれば事務所に来れば必ず事務員と話をしていくのに、食事が終わつたらそのまま帰り、翌一四日に自殺した。

原告田鶴子は、同月一三日、道仁が出掛け時に会社で一緒だつた訴外斉藤のところに寄るとか組合に顔を出すとか言つていたので、道仁がなかなか自宅に戻らなくても、どこかに寄つているのだと思い、特に心配はしなかつた。警察官が自宅に来たときも、自宅に用があつて来たのだとは思わず、ましてや、道仁が自殺をするとは思つてもみなかつた。

2  右各事実によれば、道仁は、本件事故による右足の不自由、頭痛、耳鳴り、痺れ等の後遺症に悩み、とりわけ、右足の後遺症については、十数年にわたり携わつてきた大型車の運転業務に支障をきたすものとして最も悩んでおり、本件事故後、食欲不振、睡眠障害、若干の精神的な落ち込み等の状態となつたことは認められる。しかし、それらはいずれも深刻な程度にまでは至つておらず、むしろ、道仁は、平成二年四月一二日の時点においても、本件事故による後遺症のため、医師から車の運転はできないと告げられていたものの、小型車を改造してでも運転業務を続けたいと強く念願して森川にその旨上申していたことからして、将来の生計における最大の関心事である車の運転業務を続けることに対する希望をなお失つてはいなかつたものと認められる。このことは、医師からその症状は固定した旨告げられながらも、右時点で後遺障害の認定を受ければ、車の運転ができなくなると考えて、これを頑強に拒否していたことからも窺われるところである。また、車の運転の障害となる右膝の後遺症は、すでに症状は固定したと告げられてはいたが、なお自殺の翌週には再検査のうえ手術を受ける可能性もあるという状況であつた。さらに、道仁は、自殺する前日に行われた示談交渉に対しても、そこで発言したいことをメモにして持参する等、自ら積極的に交渉に臨んでいる。加えて、道仁と生活を共にしていた原告田鶴子も道仁が示談交渉に赴く際にも自殺するとは思つても見なかつたのである。したがつて、右各事情を総合考慮すれば、道仁が、原告らの主張するように、本件事故による後遺症や被告らに対する悪感情のため、災害神経症的状態を経て、鬱病に罹患していたとまで認めるのは困難である。

そして、前認定の事実経過に鑑みれば、道仁の自殺は、本件事故により鬱病に罹患したために生じたものではなく、示談交渉の席上、具体的な損害賠償金額の提示を求めたところ、そのためには後遺障害の認定が必要であると迫られたが、現段階で後遺障害の認定を受ければ車の運転ができないことが客観的に明らかにされるので認定を受けたくなく、他方で具体的に示談交渉も進めたいという気持ちもあり、そうであれば後遺障害の認定を受けなければならないという相反する気持ちに悩み、さらに、今後も車の運転の業務を続けたいのに、手術をしても右膝はこれ以上改善されないのではないかという不安から一時的に前途を悲観し、突発的に自殺を図つたものというべきである。

このようにみると、道仁の自殺は、本件事故に端を発し、これと条件関係を有するものとはいえるものの、道仁は鬱病に罹患していないことから自殺に必然の要素が認められず、道仁の意思に基づいたものとして、本件事故との間に相当因果関係は認められないといわなければならない。

二  損害

1  前記認定のとおり、道仁の死亡と本件事故との間には相当因果関係が認められないから、これを前提とする、死亡による損害については被告らには責任がない。しかし、本件事故と道仁の傷害ないし後遺症との間に相当因果関係があることは右認定より明らかであるから、被告らは傷害による損害の限度で責任を負うものというべきである。

2  傷害による損害

(一) 後遺症逸失利益

一一一三万九六七一円

前記一1(一)認定の本件事故以前の道仁の状況及び甲四からすれば、道仁は、本件事故に遇わなければ、その症状が固定した平成二年四月ころから労働可能年齢である六七歳までの一八年間につき、少なくとも死亡前約四か月間の給与を基礎として算出した年収六八〇万六八八五円を得ることができたものと推認される。

また、前記一1(二)(三)において認定したところからすれば、道仁は、その一下肢の三大関節中の一関節の機能に障害が残つたものと認められ、その結果貨物車の運転業務は不可能になつたこと、前記一1(一)の認定のとおり、同人がこれまで十数年にわたり一貫して車の運転業務に携わつてきたこと、読み書きは苦手で事務的な仕事は不得手であることを考慮して、その労働能力喪失率は、二〇パーセントとするのが相当である。

そして、後記判断のとおり、三〇パーセントの生活費を控除すべきであることから、ライプニッツ方式により中間利息を控除して、道仁の後遺症逸失利益の本件事故時における現在額を算出すると、右金額となる。

680万6885円×0・2×(1-0・3)×11・6895=1113万9671円

ところで、この点に関し被告らは、その引用する最高裁判決及び札幌高裁判決に副い、道仁の死亡時以後は、同人が現に死亡してその後における利益が発生しないこと、換言すれば、損害が発生しないことが判明した以上、同人には賠償上考慮されるべき逸失利益は観念されえないと主張する。しかしながら、逸失利益の賠償は、事故がなかつたならば本来被害者が得られたであろう利益の賠償を認めるものであるところ、被害者の現実の死亡が事故と条件関係にある場合には、天災、持病等のような、事故と条件関係すらない全く無関係な原因で死亡した場合とは異なり、事故がなければ被害者は死亡しなかつたのであるから、一般に推定される稼働期間まで生存稼働して、事故により失つた労働能力によつて得られたであろう一定の収入を得ることができたものとなお推認することができるのであり、単なる現実の死亡という事実をもつてその後の利益が発生しないということはできないというべきである。また、本件のように、交通事故に端を発し、これと条件関係の認められる自殺によつて事故後の生存期間が確定した場合には、事故と無関係な原因によつて被害者が死亡し、その生存期間が確定した場合とは異なり、現に死亡したがゆえに以後得べかりし利益は観念されえないとして、加害者の責任を縮減させることは、その死亡という事実が加害者の不法行為と原因結果の関係にある以上、損害の公平な分担を理念とする不法行為制度の趣旨にもとる結果にもなるというべきである。

もつとも、このことは、本件において道仁の死亡という事実をおよそ斟酌しないことを意味するのではなく、逸失利益の算定も、口頭弁論終結時までに生じた事情を考慮して判断すべきものである以上、死亡の事実は生活費の控除の関係で斟酌されるというべきである。すなわち、道仁は、前説示のとおり、本件事故がなければ、一般に推定される稼働可能年齢まで稼働して、本件事故によつて失つた労働能力分に相当する収入を得ることができたと推認されるところ、現実には死亡したことによりその収入のうち生活費に充てられたであろう部分の支払を免れたのであるから、右部分は生活費として控除されるべきである。そして、右生活費に充てられたであろう部分は、道仁の全収入に対する生活費割合と比例するものというべきところ、同人の前示収入に鑑みれば、全収入に対する生活費割合は三〇パーセントとみるのが相当であるから、右控除すべき生活費は、後遺症逸失利益の賠償分の三〇パーセントとなる。

(二) 後遺症慰謝料 五〇〇万円

本件事故の態様、道仁が本件事故により被つた傷害の内容及び程度、入通院経過、残存した後遺症の内容及び程度、とりわけ右足の後遺症が道仁の運転業務への復帰に対して大きな障害となつたこと、本件事故が家族である原告らに与えた影響、その他、本件に現れた一切の事情を斟酌すれば、本件事故による道仁の精神的苦痛を慰謝するための金額は、右金額とするのが相当である。

(三) 以上により、道仁の総損害額は一六一三万九六七一円であるところ、相続により、原告田鶴子がその二分の一である八〇六万九八三五円を、同真弓及び同仁志が各その四分の一である四〇三万四九一七円を、それぞれ取得したものということができる(一円以下切り捨て)。

3  弁護士費用

原告らが本件訴訟の提起及び遂行を原告ら代理人に委任したことは当裁判所に顕著であるところ、本件事案の内容、審理経緯及び認容額等を考慮すると、原告らの本件訴訟遂行に要した弁護士費用は、原告田鶴子につき八〇万円、同真弓及び同仁志につき各四〇万円を認めるのが相当である。

三  以上によれば、原告らの被告中沢に対する請求は、原告田鶴子に対し八八六万九八三五円、同真弓及び同仁志に対しそれぞれ四四三万四九一七円並びにこれに対する本件事故後である平成二年四月一四日(道仁の死亡の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、被告会社に対する請求は、被告中沢に対するこの判決が確定したときに原告らにおいて右各金額の支払を求める限度で理由があるから、これらを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 南 敏文 裁判官 竹内純一 裁判官 波多江久美子)

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